代表挨拶

比嘉 忠男

はじめに

私たちはバブル崩壊の翌年、1992年日本の不動産において革新的な手法である定期借地権が誕生した年に、定期借地権事業を専門に扱う一級建築士事務所として誕生しました。
当初は沖縄県内に事業用借地権を活用した全国チェーン店舗や病院の誘致、一般定期借地権を活用した分譲マンションなどを手がけ、日本初の定期借地権(前払い方式)事業は全国紙にも取り上げられております。
現在では特定建設業と不動産コンサルタント事業を加え、土地活用相談件数も10,000件を超えており、沖縄県内において定期借地権を使った土地活用事業のパイオニアとして活動しております。
これまで、山あり谷ありと様々なことがございましたが、それらを無事乗り越え、今、この瞬間に存在しているのは、ひとえに皆様の絶大なご支援の賜物と心より深く感謝申し上げます。

株式会社ジョイント
代表取締役 比嘉忠男

ジョイントの歴史

ジョイントの始まり

弊社は当初、2名の一級建築士と税理士を目指す専門家、そして比嘉を含めた営業2名計5名で一級建築士事務所としてスタート致しました。翌1993年には特定建設業を取得、1995年には公共工事に参入し市営住宅や給食センター等を建築させて頂き、2002年には子会社JOINTCOLLECTION株式会社をアジアのタイ現地に設立し、ヨーロッパやアジアで調達した良質な資材をもとに、高級建築資材を制作、マンション、店舗、ホテル等に提供させていただきました。また2003年には、飲食事業に参入、それまでの地主、ディベロッパー、設計、建設業者という立場から、事業者(テナント)という役割も経験させていただきました。現在子会社は全て合併し、土地活用の総合コンサルタント会社として活動しております。
2014年からは、これまで10,000件以上の土地活用相談と、200件以上の事業用建物の実績(稼働率98%)において気づかされた土地活用を成功させる7つの法則をまとめ上げ、各種講演やメディアなどにおいて皆様にご提供させて頂いています。
(2013年7月よりFM沖縄 毎週金曜日16時45分比嘉忠男JOINTTIME出演中 土地活用を成功させる7つの法則)

ジョイントが誕生したきっかけ

ジョイント誕生のきっかけは、代表比嘉忠男23歳の時に、日本一の靴店の取締役さんが「比嘉くん!独立したら?」と軽く話されたのがきっかけだそうです。その数日後に、一番厳しく指導された世界一の紳士服店の取締役にも同様のお話をいただき信頼する仲間に相談して決めたそうです。
社長になりたい!成功したい!というのがきっかけというものではなく、ご指導頂いたお客様のニーズに応えたい!という比嘉の勝手な思いでスタートし、お二人とも、後日談で、軽い冗談に近いお気持ちだったそうですが、自然と協力者が集まり、人に恵まれ当時300万円の小額資本での設立です。

二人の恩師

私たちが誕生した際、一番印象深いご縁は、お2人の地主様です。どちらも大きな請負金額で企画設計から施工までの一切を若い私たちにまかせて頂きました。信頼できる人とは、「肩書きなど表面事ではなく、損得だけで考えるでもなく、表には見えない人格、また腹を割ってつきあえる人かどうか」と諭され、また「人を信頼出来る人というのは、自分も信頼できる」「傷つく事が怖い人は人を信頼できない」と、人生において教訓となる体験談をよく話してくれました。また、その地主さんが「信頼できる人だから」と別のお客様に口添えしてくれた事で更によいご縁に恵まれた事もスタッフ全員が知る体験談です。信頼という事が、どういう事なのか、私たちは地主様に日々教わっています。

訪れた2度のピンチを乗り越えたのは

これまで弊社にもピンチは2度ありました。一度目は、設立1年目に5千万円の資金を危うく失いかけた事、2度目は10年を過ぎた頃、役員の独立で営業部と当時の顧客を失い、会社が消滅しかけた事、いずれも大切な関係者に救われました。
また、そのピンチを乗り越えた見方と行動には、先にご紹介した二人の地主さんのお言葉と、比嘉忠男の父母の生き様があると感じます。
比嘉家は、母が不動産の才覚があり、父も大変真面目で勤勉な人で、幼い頃は。毎週末外食に出かけるような裕福な家庭だったそうです。それが小学校5年の夏の日に突然怖いおじさん達が来て‥映画に出てくるワンシーンのように生活が一変したそうです。
真相は今でもわからないそうですが、賭け事も女性も酒も煙草もしない真面目な父親で、恐らく保証人等で大変大きな借金を背負されたのでしょう。父親は荒れ、比嘉とも激しくぶつかり合ったそうです。
比嘉は奨学金で通学し、高校生の頃になるとアルバイトも深夜まで、大学進学は高校入学から1年目で金銭的な理由であきらめたそうです。最初に就職したのは、県内大手のパン会社。後に弊社でその会長さんの店舗を手がけさせて頂きましたが、なぜかパンの配達でトラックを運転していると不動産の看板が眼にとまり、独学で宅地建物取引主任を取得、20歳の時に京都の不動産会社に就職したのが業界入りだそうです。
しかし、当時は貧しくスーツが買えなくて友人の喪服上着を借り、ズボンは学生服、数ヶ月間よく上司は何も言わなかったと今では笑える話だそうです。兄も県外に働きに出て仕送りを続けていましたが父との関係は当時は殺伐としていたそうです。
そんな中でも母親は常に父を「母はお父さんを愛している」「お父さんも本当はあなたがたの事をおもっている」と、比嘉の前では父親の陰口は一切なく支え続けていたそうです。
ジョイントの代表に就任したのは比嘉23歳の時ですが、その数年後から父親との関係も徐々に信頼に代わり、父親が急死した2010年の数年前には家族全員が一つになっていたそうです。亡くなった後、当初あった父親の数千万円の借金は父親本人がほぼ完済していたそうです。



父は信念の人です。また誰にもこびませんでした。どんな肩書きも、年齢、大人も子供も関係ない。
がん手術の翌日、仕事に行くと医者を困らせました。その仕事はアメリカ軍キャンプの草刈りで、数日後には確か仕事に行ったと思います。草刈りなんて誰かに任せればいい!家族全員思っていました。周りからはよく変人だと言われました(笑)
でも、父は、他人の声よりも自分の声に誠実な男でした。山あり谷ありの人生でしたが、どんなことにも誇りをもって生きていた人です。
亡くなったあと、私の知らない二人の方から私宛にメッセージを頂きました。「お父さんの姿が見えないのでどうしたのかと思ったら亡くなられたんですね。お父さんは炎天下の日も雨の日も全く変わらず黙々と草刈りをしていました。残念です。」「英語で外国人と交渉しておもちゃを集め、うちの園の子供達にもってきてくれてたんですよ」
亡くなった後、父の机の中から幼い私と二人で写っている写真を見つけました。また車内では、すり切れたジョイントの会社案内を見つけました。母が言っていたように、父は亡くなるまで一切口にはしませんでしたが、家族を愛し誇りに思っていたと感じます。私は父からは信念、母からは愛を教わりました。
私は、人の顔色を伺ったり、損得勘定や、口先だけの関係には心がひかれません。地主さんから「今は損でも長い目で見れば必ず報われる。だからがんばるんだよ!」と何度も声をかけられた事を思い出します。また、「三方良し!自然は循環しているよね。誰か一方だけが得をするとか、誰か一方だけが損をするような仕事は駄目!三方良し!」という言葉を頂くと母と父の生き様を思い返します。
(以上比嘉談)
この比嘉の父母との体験が、ジョイントにあった2度のピンチを、必ず報われるという信念と周囲の愛で乗り越えられたのだと感じます。

わたしたちの目標

「ジョイントは設立から今日まで人に投資してきた会社」だから、私たちは人のために役立つ仕事をする。
大変綺麗事のようにも聞こえますが25年以上そうやって沢山の大切な関係者の皆さんと出会うことが出来て、今も存在しています。
私たちは、何のために仕事をしているのか、何のために生きているのか、話し合う機会を定期的に持っています。議論は尽きないし、一生かけても夢や目標は達成できないかもしれませんが、同じ道を信じて歩き続ける事を今後も大切にしていきたいと思います。
まだまだ全員若輩者ですが今後も変わらずご指導のほど心からお願い申し上げます。

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